大学4年生の時のプロジェクト(11月2012年)
テンプル大学ジャパンキャンパスでの最終学年であった私は、この機会を利用して、自分の夢の一 つであるスリラー映画を作りたいと考えていました。このプロジェクトは、他の多くの学生映画 と同様に、ストーリーより感覚や雰囲気を作り出すことを重視したいという抽象的な考えから始 まりました。 多くの欧米人が日本での映画を作ろうとすると、サムライ、ヤクザ、ニンジャな ど、非常にエキゾチシズムに溢れたものになります。しかし、私はもっと自然で素朴で伝統的な 日本の背景に、70年代から80年代の西洋のSFやホラーの要素を融合させることを追求しまし た。最終的には、小泉八雲が収集した日本の民話「怪談」と、「ボディ・スナッチャーズ」のよう な西洋映画をミックスしたような、まさに私が望んでいたオリジナルな融合が完成しました。 予 算無しの学生映画ということで、様々な制約や問題がありましたが、このチームの努力と忍耐に よって、最終的には大学の制作物として想像を超えるものを作り上げることができました。
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あらすじ
日本の田舎に住むシングルファザーのごろは、娘が描いた謎の人物の絵を見せられ、危険を感じ るようになる。妻の失踪を引きずるごろは、やがて妻、娘、そして謎の人物の間にある不穏なつ ながりに気づく。日本の昔話に登場する顔のないお化け「のっぺらぼう」は、現代社会に再 び姿を現し、主人公のひとりを狙っているのだった。この映画は、人間の最も原始的な性質であ る、捕食者に対する恐怖と、子供を守ろうとする気持ちを刺激するサスペンス・スリラーであ り、ハラハラ・ドキドキの展開が待っている。それは、我々が争いの前に感じる本質的な直感と 同義である。捕食者と被食者が目を合わせ、不安をかき立てるような静けさが漂う瞬間である。
限られた予算とスケジュールだったので、週末1日で全編を撮影する計画を組みました。もうひと つ、出費を抑えるポイントとなったのは、映画のロケ地を、田舎でありながらユニークな場所に したことです。
ロケハン
映画撮影の数ヶ月前、私は「シニアセミナー」という授業で「トレーベルジャパン」という観光YouTubeチャンネルのプロジェクトをやっていました。埼玉の日高市や千葉の成田山など、日本のさまざまな田舎をクラスメートと一緒に訪れました。特に印象に残ったのは、千葉県の鋸山と浜金谷のという地域です。
このエリアは大仏があるにもかかわらず、外国人観光客はもちろん、日本人観光客にも比較的知 られていないため、鎌倉よりもずっと静かで平和な場所でした。山を散策した後、近くの漁師町に 向かったのですが、その途中、海辺でこの不思議な洞窟と古い神社を見かけました。洞窟の中に 入ることができると気付いたので、思い切って中に入ってみました。 洞窟へは小さ な石橋でつながっていて、運よく干潮時に行くことができました。洞窟を出ると潮が満ちてきて いて、橋はすぐに水没してしまいました。それでも、このエリアは独特の雰囲気があり、頭の中 で構想していた短編映画には最適な場所だと思いました
撮影前夜(金曜日)
夜10時半頃、かなり遅い時間に帰宅した私は、家の鍵を落としてしまったことに気づき、驚きし ました。 結局、近くの交番に行って鍵屋さんの番号を教えてもらったのですが、最低でも2万円 必要で、来れるのは翌日の朝9時だとのことだったので、その選択肢は取ることができませんでし た。そこで、3階のベランダの鍵をかけていないことを思い出したのですが、あいにく隣人が中に 入れてくれませんでした。 最終的に、上の部屋から飛び降りることにしましたが、幸いにも転落 はしませんでした。午前1時半ごろには部屋に入り、30分ほど撮影道具の準備をした後、眠りに つきました。
撮影1日目(土曜日)
4時間ほど眠った後、朝6時にアパートを出て、4つの機材を満載したバッグを持って、3本の電車 を乗り継いで池袋に向かいました。7時45分には全員が揃い、千葉半島南部に向かっていまし た。途中で少し休憩して、アクアラインを走りました。予定通り9時30分には撮影場所に到着し ました。浜金谷駅での撮影は、予想以上に楽でした。というのも、この辺りは非常に田舎で、電 車の間隔が長いので、駅員さんがホームで他の乗客がいない内に嫌な顔をせずに撮影してくれたの です。私たちが撮影しているのを見て興奮し、興味を持った小学生のグループもいました。
その後、2つのチームに分かれました。ジーンさん、ニックさん、小学生のヒカルちゃんは、周辺で 「ウォーキングシーン」の撮影をしました。一方、アドラさん、ヒロミツ さん、私の3人は「ごろさんの仕事風景」を撮影しました。その時、三脚が倒れるというアクシデ ントに見舞われました。カメラには70-200mmのプライムレンズを装着していたので、地面に叩 きつけられた時、すごくドキドキしましたが、どうにかレンズは割れずに済み、非常に安心 しました。
次に、「拉致」のシーンを撮影するために洞窟へ行きました。すでに潮が満ち始めていたので、 急いで内部のシーンを撮影しなければなりませんでした。なかなか難しい撮影でしたが、なんとか 満潮になる前に撮影を終えることができました。水没した橋を渡って洞窟に向かうジャンさん が、濡れないようにする姿を見て、ヒカルちゃんはとても笑っていました。洞窟へ出たり入っ たりするうちに、結局、みんなずぶ濡れになってしまいましたが、海に引きずり込まれることは なくて良かったです。
アドラさんがヒカルちゃんの面倒をよく見てくれている間に、他のメンバーはヒロミツさんと一緒 に1時間ほど洞窟内の撮影を行いました。この時点で、キャストもスタッフもかなり疲れていまし たが、なんとか洞窟の外観の撮影を終えました。15時になると、近くのラーメン屋で腹ごしらえ をして、エネルギーを補給しました。そして、ジャンさんが撮影のために借りている家に向かいま した。
カメラ機材の搬入も、次の撮影の管理も、日が暮れるのが早いので時間との戦いで、ちょっとバ タバタしましたが、最終的には、日が沈む少し前に外観のシーンを撮 り終えました。夜景や夕食のシーンがすべて終わるまで、遅くまで撮影を続け、ギリギリ 完成しました。キャストやスタッフには大変負担をかけましたが、その日のうちに撮影を終えな ければならなかったのです。また、小道具の「防犯カメラ」が行方不明になり、急遽、カ メラライトを使用して「防犯灯」に変更するというハプニングもありました。この日の撮影行程 は20時40分までに終了しましたが、実は私が予想していたより20分も早かったのです。この時点 で、チーム全体が心身ともに疲れ切っていました。なので、そろそろリラックスタイムでした。 私たちはガストに出かけ、そこでみんなくつろいで食事をしました。撮影場所の家に戻る途中で は、暗闇の中、車を坂道に乗せるのに「興奮」しました(結局、ニック、ヒロミツ、私の3人で車 を押すことになりました)
私が映像のアップロード、メモリーカードのリセット、バッテリーの充電、翌日の準備などに追われている間、他のチームメンバーは夜中頃まで家の中でのんびりと過ごすことができました。ようやく家の隅から顔を出すと、ヒロミツ、ニック、ジーンの3人がなんかの腕立て伏せ大会のようなものをやっていた。その日のこんなで、ストレスがたまることもありましたが、初日の本番は無事終了しました。無理なスケジュールにもかかわらず、前向きで真面目なスタッフがいてくれたおかげで、初日の撮影がスムーズに進んだのは本当によかったと思いました。
私が映像のアップロード、メモリーカードのリセット、バッテリーの充電、翌日の準備などに追 われている間、他のチームメンバーは夜中頃まで家の中でのんびりと過ごすことができました。よ うやく私が家の隅から顔を出すと、ヒロミツ、ニック、ジーンの3人が何かの腕立て伏せ大会のようなものなものをやっていました。その日のあれこれで、ストレスがたまることもありましたが、初日 の本番は無事終了しました。無理なスケジュールにもかかわらず、前向きで真面目なスタッフがいてくれたおかげで、初日の撮影がスムーズに進んだのは本当によかったと思いました。
撮影2日目(日曜日)
居間でみんなが寝ている間に、私は4時半に起きて、湾と家の外の畑から昇る朝日の動画を撮影し ました。疲れているにもかかわらず、外の寒さで目がすぐ覚めました。家の中をつま先で歩き回 り、キッチンでも何枚か撮影してみました。その動画をすぐアップロードして、また1時間ほど目 を休めました。朝7時半にジャンとヒロミツを起こし、早朝のシークエ ンスを撮影し、8時半にヒカルの朝食シーンを撮影しました(この日はスケジュールが詰まってい たため、両方とも前倒しで撮影しました)。朝、ヒカルちゃんは少し疲れていて不機嫌そうで、撮影中にお父さんをにらみつけたのですが、それは朝食のシーンでイライラしているヒカ ルちゃんにぴったりだったのを覚えています。とても上手な演技でしたね。
次に、私、ジャン、ヒロミツは、千恵子さんと2歳のお子さん、そして、もう一人の学生のユイさ んに会い、4人でごろの妻への追跡シーンを撮影している間、ユイさんには千恵子さんのお子さん の面倒をみてもらいました。一方、ニックとアドラは、ヒカルちゃんを見守りながら、家で荷物 をまとめ始めていました。家に寄ってから、みんなを集めてラストシーンを撮影しまし た。2バージョン作りましたが、後者はヒロミツが歩いているだけのものです(この方が映画に合 うと思いました)。その後、千恵子さんに別れを告げ、大志さんと待ち合わせしました。この 時、防犯カメラの支柱を発見しました。昨日の混乱の中、なぜかゴム長靴の中に入れられていま した...済んだことは仕方ないですね。
大志さんとヒカルちゃんとの2つのシークエンスを撮影しました。この日の最後の撮影は、日が沈 む直前にヒロミツさんと大志さんのキャラクターの会話を収録するものでした。私がシーンを セットアップする間に、チームは少し休憩をして、ジャンとニックは波止場で腕相撲やレース競争などをしました。最後に、再び撮影場所の家に戻り、滞在・撮影料金を支払いし、家に残ってい た他の撮影資材をすべて回収しました。そして、スタッフ全員で海岸の寿司屋に食べに行きまし た。ようやく座れた時、ほっとしました。仕入れたばかりの生サーモンの寿司と冷たいビール は、とてもやりがいのある味でした。その後、車で3時間かけて池袋まで戻り、さらに1時間電車 に揺られて、ようやく帰宅して寝ることができました。1週間後に商店街で撮影したシーンもあり ましたが、この短編映画の大部分は、この2日間の長い制作期間中に撮影されたものです。
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結果:
『拉致』はカール先生の授業で「A+」を獲得し、本校の映画祭で上映されただけでなく、2014 年にはハリウッドで行われた権威あるIFS映画祭「 Independent Filmmakers Showcase」でも 評価されたそうです。この映画祭では、この短編映画は賞を取れませんでしたが、彼らが 「拉致」に対してくれた説明は的確で、本当に励みになりました。その後の2年間で、さらに3 本の短編をつなぎ合わせて、長編「真夜中怪談」を制作しましたが、その頃にはお金がなくて、 多くの映画祭には作品を送ることができませんでした。長編映画祭は、低予算の作品でもスタジ オの資金援助があることが多いので、より競争率が高いのです。IFS映画祭に直接参加できなかっ たことは、私の最大の後悔の一つです。今後の映画プロジェクトでは、もっとプロモー ションの予算を増やしたいと思っています。というのも、映画を作ることと同じくらい、プロ モーションが重要であることを学んだからです。
このすごいプロジェクトから10年が経ち、チームは別々の道を歩むことになりましたが、次 のプロジェクトでは喜んで彼らと一緒に仕事をしたいと思っています。
30歳を過ぎても "夢の仕事 "に恵まれず、一般的な会社勤めになってしまったように見えますが、 実は次の企画をずっと練っているんです。それらは間違いなく、近いうちに実現する予定です
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